ブログはボチボチ書いているけどコードはまだ書けそうに無い
ブログにしてもどうやら今、軽躁状態だから書けているのかもしれない。
RubyやRuby on Railsの勉強を続けたいけど、まだ、ダメだにゃ。
それとも、無理してエンジニアに戻ることは無いのかな。
趣味でRuby書く位には戻りたいな。
本業を果たして今後持てるくらいに心の状態が良くなるのかシラン。
ブログにしてもどうやら今、軽躁状態だから書けているのかもしれない。
RubyやRuby on Railsの勉強を続けたいけど、まだ、ダメだにゃ。
それとも、無理してエンジニアに戻ることは無いのかな。
趣味でRuby書く位には戻りたいな。
本業を果たして今後持てるくらいに心の状態が良くなるのかシラン。
今日は午後、本屋で立ち読みをしていたのですが、身体が強張って、かないません。うちに帰って来てみると、身体がガクブルしています。
そう言えば、3年前にうつで会社を辞める前の3ヶ月間休職していたのですが、その時大型自動二輪の免許を取りたいとしばらく自動車教習所に通っていました。けれど、どうしても一本橋でバイクをうまく操れない。これはもううつのせいだと、大型自動二輪を取るのは諦めました。
でも、バイクに乗ること自体は諦めてはいません。今乗っている'05XR250はキャブなので走り出しでエンジンが暖まるまで時間がかかるので、いい加減ホンダ、インジェクションのXR250後継機種出さねえかなとか。4ストツインのバイクには乗ったことが無いからツインのバイクを所有したいなとか。でも大きいバイクは取り回しがしんどいからやだなとか。XR250はシート高は高いけれども軽いからなんとかなっているけど。ホンダがインジェクションのXR250後継機種を出さないなら、次はカワサキNinja250Rがいいかも、と思ったり。
取り回しと言えば、自分の今乗っている7thシビックも車体が大きく感じられて取り回すのがしんどいです。7thシビックは5ナンバー枠ギリギリいっぱいの車体サイズなので結構大きいのですよ。注意が車周辺に行き届かないのです。それに比べて妻のフィットの運転し易いこと。シビックは年末で7年目の車検。まだ何年も乗るにしても、次に登録車を買うことが出来るなら、スズキのスイフトスポーツが欲しいなあとか。
そういうエンジン物の妄想は結構ですが、心身の状態が今のままではマトモに働けないので収入が無いのだから買い替えなんてとても無理。むしろ自分の持っている様々なものをどんどん手放していくことになりそう。
そうなったとしても、車を手放したとしても、XR250だけは手元に残しておきたいものです。軽二輪なので車検が無いのは助かりますね。
昨日処方されたレメロン、強力です。
寝る前に服用ですが、現時点まで鬱症状が出ていません。それは良いのですが、副作用が強力です。心も身体もだるいです。機敏に動ける気がしません。眠さも強力でした。午後まで死んでいました。
こんなんじゃとてもじゃないけど車の運転は無理。
働いていない人でないと服用出来ませんね。これだけ副作用が強くては、仕事にならないもの。
鬱がシンドイと、気を紛らわせるためにお菓子を食べたくなる。けれども糖尿病な私が血糖値を上げないようにするにはお菓子に手を出さないようにしないといけない。その口寂しさを紛らわせるために朝から何杯もコーヒーを飲んでいる。
結果覚醒しているから、鬱がより酷くなる。お菓子を食べたくなる。我慢してコーヒーを飲む。覚醒する。鬱がより酷くなる。
の繰り返し。
今日はTシャツだけでは肌寒くて、パーカーを羽織っています。
先週の木曜日に行った病院での血液検査。空腹時血糖値がよろしくない。8月のお盆前までには体重が徐々に63kgまで増えてきていたのだけれど、お盆に妻の実家に行ってから体重が一気に65kgまで増えた。その後食事制限で64kgまで落としたのだが。この夏の間ウォーキングをしていなかったので、筋肉への糖の取り込み能力が落ちたのだろう。そもそも、鬱状態から来るイライラでお菓子を食べていたのがいかんのだが。
早速ウォーキングを再開した。しばらくはこれまで同様に夕食後にウォーキングをしていたのだが、今週月曜日からは朝食後にウォーキングをしている。結果身体のリズムが朝型になった。
ウォーキングをしている時は、なるべく何も考えないようにしている。朝から鬱なので、どうしても悪い方に考えが及んでしまう。とはいえ朝歩いていると頭も覚醒してくるので、どうしても考え事をしてしまうのだが。そしてある時思い至ったのは、自分の欲望を満たすことに使える時間はもうあと僅かしかない、ということだ。後は鬱状態で身動き出来ないか、辛うじて主夫業をやっているか。
私には時間が無い。まともに考えることのできる時間は僅かだ。考えをめぐらそうとするとリミッターがかかって思考がストップしてしまう状態だ。何かを成し遂げようとしても、最短距離を選べたとしても、それでも他者より遅れをとるだろう。時間が無い。でも、焦っても前へは進めないのは散々痛い目にあって、分かっている。
時間線の上を私はこのオンボロの心と身体を引き摺っていくしかないのだ。その認識が、私をまた悲しい気分に浸らせる。
私は、周りからお膳立てされるのを待っている奴が大嫌いです。
私は、責任が及びそうになると逃げ出す奴が大嫌いです。
私は、問題がそこにあることが分かっているのに何もしない奴が大嫌いです。
クソ、動きたいなあ。
うつシンドイ。動けねえ。
情けない。
イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、
悲しくなる理由は無いけど悲しいよ。
生きるの面倒くさい。
死ぬことすら出来ない。
小学生の頃からエキセントリックな性格だった。運動は得意では無かった。
中学生時代、最初は学年で一、二を争う成績だった。運動が不得意であることを克服しようと、水泳部に入った。水泳部には、私と小学生時代からの仲良しグループがいて、最初の頃は和気藹々とやっていた。
けれども、いつの頃からか、その仲良しグループから、私は無視される様になった。いわゆるいじめ。私は対抗した。水泳部を辞めることは無かったし、クラスでも自分が属するグループを維持していた。
「私を見て。私はここにいる」
しかし、人生のもっとも多感な時期。傷ついたのは確かだ。成績は落ちた。ただなんとか持ち直して、高校は進学校に入った。
高校でも、成績は低迷した。しかし何故か、2年生の中頃から、相対的に中の上くらいの位置に着いた。部活動で吹奏楽部をやっていたのが良かったのかな。水泳は個人競技だけど、吹奏楽部は全体で一つになるものだから、他者に対する信頼感を取り戻したからかな。けれども、人生観として、存在というものに意味は無いと思うようになっていた。親との関係も含めて色んな意味で頑張れば旧帝大に受かったかもしれないが、地元の国立大学を受けた。
大学という所は、能力的に似たようなレベルの学生が集まっている。そこでは、私はかなりキセントリックなところを発揮していたようだが、大学はまた色んな人が集っている所なので、まあ、なんとかなっていたのだろう。それより、私は、自分の生まれ育った地元を嫌うようになっていた。地元マンセー的なところ。東京から遠いからね、ここは。伝統にあぐらをかいているところがあったし、外との出入りがあまり無い。
大学院修士課程を修了して、上京しメーカーに就職した。
東京。私程度の能力の人間はごまんといる。でもその人たちは競争相手というより、同類、仲間。その中に埋もれていても、刺激はたくさんあった。だからプライベートはそんなに悪くなかった。
しかし職場環境は。上司はうつで休職。OJTで指導してくれた先輩社員は先物取引に失敗して自殺。同期入社の社員もうつで休職。私は不安神経症を発症。2、3年前の話では無い。10年以上前の話だ。3ヶ月休職して、配置転換してもらったりもした。
35歳になって。父は学生の頃に他界しているし。妹はいるが母の面倒は私が見なければならないと思いつめていた。強迫観念だったかもしれない。今の妻とそのころには付き合い始めていたが、私は地元にUターン転職してしまった。
病を抱えたまま転職のような大きな決断はするべきではない。ましてはUターン転職なんて。
地元に帰ってみたら、同類はいなかった。自分という存在を認めてもらうため、自分の能力を高く売り込まなければならなかった。周りに助けてくれる人はいなかった。休職したりして、結局会社を辞めた。
自分の能力を高く売り込んで、別の会社に入った。そこで不安障害だけでなく、うつ症状も現れる様になった。2年前、休職し、そのまま会社を辞め、そのまま自宅療養中。
プライベートでは、「私を見て。私はここにいる」という想いを実現するために、2004年にスタートしたmixiにその年に招待してもらってから、そのなかで自分が属するコミュニティを自分で形成した。私が過剰であらねば、私が望むコミュニティを維持することはできなかった。
過剰であることが出来なくなって、私はmixiを退会した。
私が存在する事を認めてくれる人がいないのがとても不安なので、私は過剰であった。
「私を見て。私はここにいる」
うつ症状で私の能力はかなり損なわれているが、それでもなお、もしかしたら私は過剰なのかも。
でも、「私はここにいる」と叫ぶことに疲れてはいるのだ。休めばいいのだろうけどね。私が人々の記憶から消え去るのが不安でしょうがない。
こんな自分語り、「エヴァ」だよね。私は「アスカ」タイプか。あの頃テレビ東京でリアルタイムで「エヴァ」観れて良かった。正確に言うと、ビデオテープレコーダーにタイマー録画して、定時退社日で会社の独身寮に帰り、共同の風呂から上がってのんびり「エヴァ」を観る。その日の放映分を2回観たり。それからニフティの「エヴァ」関係巡回したり。
1週間が水曜日を中心に回っている感覚。懐かしい。
無力だ。
何て無力なんだ、今の俺は。
哀しい。
平日日中、家には私一人。家の中に居る限り、ぼんやりとした状態に自分の精神を落とし込んでおける。けれども一人で外出するとうつ状態に落ち込んで、それは家に帰ってからもしばらく続く。だから一人で外出することは医療機関に行く以外はせいぜい食料品の買出しに出かけるときくらいだ。食事や妻のお弁当を作らないといけないからね。バイクで出かけることも酷く億劫になった。もともと空冷キャブで始動性が悪いこともあるけど。医王山の山頂付近をバイクで流すことも今年一度もやっていない。バイクに乗ってしまえば楽しいのだけれど、気分が乗らない。
私はお酒は少し飲める程度だけれど、酒飲み話は大好き。話していると、ハイテンションになっていくのが分かる。もともとそういう気質だったのだね。現在は薬の量を調節して基本的に軽いうつ状態になるようにされているけど、人と話していると簡単に躁転する。気をつけなきゃならない。
色々な人と会って話をしたくてたまらない。少なくともうつ状態に陥る人は普段から生と死以外の事について考えるきっかけが無い。延々と生と死について考え続けてループにハマってしまっている。他者とのコミュニケーションは、その時だけはループから外れていられる。
色々な人と会って話をしたい。
本音は、自分が他者からもう相手にされない存在であることを認めるのが怖い。
でも、色々な人と会うために物事を自分で仕切る能力が私からはもはや損なわれてしまっています。他者頼み。足掻く力も無い。如何ともし難い。
このまま私は終わってしまうのだろうか。
もう私は社会参加することは出来ないのだろうか。
イライラしたり、鬱々したり、悲しくなったり、そんな『気分』が抵抗となって心の身動きがとれない
焦るな、とヒトは言う
焦るな、と私も自分に言い聞かせる
けれども、どうしても焦ることを止めることが出来ない
働きに出ることすら出来ない
こんなことで、将来一体どうなるのだろう
身体が震える
そもそも、今私にできることなんてほとんど無いのだからゆっくり休んでおけと
でもその分を誰かが働かねばならんのだ
申し訳ない
『焦燥感』から身動きがとれない
『焦燥感』がずっと心を支配する
近頃はまた寒くて参ります。
蓄熱暖房器はもうブレーカーを落としてしまいました。12月度までお休みなさい、です。それだけに、この寒さにはすっかり参っています。うちはまだエアコンもつけていないし。ユニクロの『ヒートテック』インナーウェアをこれほどありがたいと思ったことはありません。
今日は総合病院に行ってきました。4週間に1回、泌尿器科と内科を受診します。朝食抜き。8:20には受付け。精神を病んで以来頻尿にもなって泌尿器科に通い、内科は糖尿病なので、です。採血で袖を捲らなければならないので、『ヒートテック』インナーウェアを着るのは面倒。少し薄着。
泌尿器科で尿に血が混じっていることが分かりました。レントゲン写真を撮り、CTスキャンを撮り。もともと左の腎臓に結石が一つあることは分かっておりまして、それが増えたわけでもなく。まあその結石が悪さしているのだろうということで。CTスキャンの画像を端末PCで表示して見れたのは感動物ですな。ただ、PCのOSはWin2kなわけで。Win2kは来年にはサポート終了なのでは。あの病院、全端末を更新しなけりゃならんのだろう。大変だな。
内科では、前回の採血の血液検査の結果を教えてもらったが、血糖値は問題ないレベル。ここのところの躁状態のおかげで体重が増えているので、減らさないといかん。
うちに帰ってきても、暖房がないとこうも寒いものかと。『ヒートテック』インナーを着込みました。
早く暖かくなってくれないかな。
またやってしまった。
ミクシィでマイミクさん達がコメントすることの難しい愚痴を日記を書いてしまった。
今のマイミクさん達はリアルの友人知人ばかり。
いつその人たちから愛想をつかされてもおかしくない。
ミクシィについてはもう3回も入退会を繰り返している。
これは結局、私の社会的身体の自傷行為なのだと思う。
リストカットのように自分の肉体を傷つけるのではなく、社会的な立場とか何とか、そういうものを傷つけている。
そんなことをやってしまう自分。でもどうしようもないんです。
だが、死ぬ気力すら湧かない。
地元の大学に公募が出ていたので応募しようとしたのだが、履歴書を書いていて地をうまく書けない。身体は震えてくるし。
結局応募するのは諦めた。まだまだ駄目みたい。
その日一日
何をしていても
何を想っていても
毎夜
『悲しい気分』を与えられる
肉体の痛みに相当するものだ
脳組織の変容
肉体の『回復』に相当する精神の『寛解』
何時になったら訪れるのだろう
今日社会保険事務所に行って障害年金を申請してきました。裁定で受給できることになったとしても、それまで4ヶ月かかると社会保険事務所の職員に言われましたが。まあ何にせよ、金額が少なくてももらえた方が良いわけで。
社会保険事務所から帰る途中、頬が強張り、身体も震えてきたり。受給できるといいな。
平日日中は自宅に一人で居ることが多い。家事を一通り済ませたら後はネットサーフィン位しか出来ることがない。不安に駆られたり、涙目になったり、イライラしたり。糖尿病なのにお菓子をボリボリ食べたり。
私は社会から切り離されていて、社会との接点を持てないでいる。平日日中なんて友人達は働いているし。
誰かと話せたらいいのに。
『鋼の錬金術師』21巻が刊行されたのは何時の事だっけか。確か昨年だったと思うのだが、買ってあるのに未だに読んでいない。
小説も、漫画も、アニメーションも、テレビドラマも、映画も。およそフィクションと呼べるものを読んだり観たりする気力が沸かない。
必要に迫られてUbuntu 8.10 デスクトップ amd64版でVirtualBoxを設定してWindows XPを運用することはできても、漫画1冊手に取ることができない。
フィクションの神に愛想を尽かされたか。
寛解したら、小説を読めるようになるかなあ。それは諦めた方が良いのかなあ。
そんなことを言いながら、mirrorshade.jpというドメイン名を取得したりしています。私、サイバーパンク世代だから。
夜、強くうつ症状が出る。かなりキツい。仕事していなくても、妻は仕事だからね。それに引きずられているのだろう。サザエさん症候群が酷くなったような状態だと思ってもらえればいい。まだ、ダメだなあ。焦らず、療養するしかないのかあ。
3月から先日の引き渡しまで、家の新築で何だかんだと言って結構気分は張り詰めていたのだと思う。けれども実際に建った家に住まって居心地が良く、比較的穏やかな気分で日々を過ごす様になった。気分を張り詰めていたのが切れてしまった感がある。何か書かなくては、とか、自己主張しなくては、とか、そういう気分は失われてしまった。ここでようやく療養に徹することが出来るようになったと言える。
日々、出来る限りの家事をこなして行くだろう。いくら必死になって文章を綴ったとしても自分が伝えたいことが伝わっていかないのなら、もはや書くことに重きを置くことはない。10年間書き続けた日記も書くのを止めてしまった。それだけの気力は沸かない。
どこかずいぶん遠い所に来てしまった気がする。それでも、早期に社会に戻らねば、住宅ローンを払っていかなければ。まだまだ戻れそうには無いけれど。
また下らないダイエット法が流行っているようで、バナナが売り切れていて手に入らなくて困る。
糖尿病で食事制限と運動療法をやっている身には、バナナ等の果物を食べることはおやつに関しての唯一の楽しみだというのに。
果物の一日に摂る量も決められているのですよ。バナナなら1日に1本。
楽して痩せようとしたら、必ずリバウンドするだろうに。
冷たく、乾いた秋風が吹くようになってきました。日中はまだ日差しが強いのでその風はTシャツ1枚でも心地良いのだが、夕方歩いて畑まで野菜を収穫しに行ったときはもうTシャツでは肌寒く感じます。夕食後、運動療法のためウォーキングをしている間は薄いパーカーを着て首にはタオルを巻いていたのだけれど、それでは追いつかないくらい寒い。うちに帰って温かい風呂に入って、ようやく一息ついたところ。
寒さを感じると、私はうつが酷くなります。上記のウォーキングをしている間は歯を食いしばるしかありませんでした。
これから先、着る服の厚みや枚数を細かく調節していかなければいけません。
やれやれ。
ミクシィの自分の日記にグチャグチャな事書いて。わざわざ自分の居場所無くすようなことして。
Private Peopleも退会しちゃって。
バカなの? 死ぬの? > 俺
結局のところ『私』は間抜けなわけで。技術者として、特に職人的に仕事をしていこうとすれば妥協なんて出来る訳ないが。でもそれでは現実社会ではとても生きにくい。
今では研究者ですら成果の商業化を求められているこの時代に、戯言をいくら綴っても何が変わろうか。
時間も余裕も無い『私』は自分の成長の糧となる人物とだけ関わっていきたいと思うが、現実にはそうそうそんな人物はいないわけで。私自身が他者にとって成長の糧となれるかと言えばもちろんそれは怪しい。
乱痴気騒ぎでもすれば少しは『私』の『気』も鎮めることが出来るのだろうか。そんな乱痴気騒ぎなんてあてなんか無いけれど。
他者との関係性の中からしかヒトは自分の価値を見出せないが、他者との関係性そのものが失われた『私』は不定だ。
出来て当たり前、出来なければ評価が下がる。減点主義の日本流『成果主義』。理想主義者で妥協出来ない『私』の心が折れても、セルフマネージメントできなかったからだと『自己責任』で退けられる。それでも『私』は『セイフティ・ネット』らしきものに辛うじて引っかかっていて、今ではこんな駄文を綴ることができる。
だが『私』の本音をストレートに書けば社会的孤立を一層増すだけだ。
イライラが収まらない。
虚しいけれど、それでも書かずにはいられない。
できる限りオブラートに包んででも。
疲れているので長い文章は書けませんが。
私が自分のうつ症状の原因として「親子関係に問題を抱えている」と仮定してみると、これまでの人生を振り返ってみてうまく説明出来ることがあまりにも多い。だから、「親子関係に問題を抱えている」ことを克服する事も、或いは軽やかにスルーする事も、うつ症状を改善するためには必要なことなのだと今は思っている。
興味深いのは、ネットを通して私がコミュニケーションをとっているうつの人も、親子関係に問題を抱えている事例がいくつもある。
取り合えずここでは、似たもの通しは引き合うのだと考えるようにします。
この世界から『私』が存在した証を全て消してしまいたい。
『私』の存在など、無かったことにしてしまいたい。
うつ症状が『私』にそう言わせていることを分かってはいる。
でもだからといって、『私』にはそれに対抗する力が無い。
対抗する理由も無い。
私は1993年から2002年まで、東京のメーカーでエンジニアとして勤めていました。そして仕事上のストレスから、1998年に不安障害を発症しました。それ以来、ときたま休職しながらも勤めていたのですけれども。
住んでいたのは会社の独身寮です。まかないなどは無く、キッチンは各階に小さなコーナーがあるだけです。残業が多かったことも有り、食事はほとんど外食かコンビニ弁当でした。
そんな生活していて、身体に良いわけない。
2002年10月に諸事情から金沢にUターンしたのですけど、2002年、私は35歳。生活習慣病検診がありました。検診結果を受け取ったのは金沢に戻ったあと。血糖値が高いので、病院で検査を受けてくださいとの指示がありました。
それ以来、私は糖尿病を抱えて生活していくことになりました。
その時点で私の体重は69kgありました。私の身長は173cmなので、必ずしも太っている、というほどではありませんが、お腹が今で言うメタボっていました。糖尿病の治療は食事のカロリー制限と運動療法。一日1760kcal、夕食後はウォーキング。半年もかからずに、体重は58kgまで落ちました。
Uターンして勤めていた会社では不安障害で3ヶ月休職したり、薬の副作用か勤務中に居眠りしたりしていたことも有り、2005年6月にクビになりました。しかし次の職はすぐに見つかり、7月から勤務。翌2006年6月には結婚しました。結婚したら、食事のカロリー制限がいい加減になり、血糖値が高くなってたかだか体重64kgで病院に教育入院することになりました。仕事のストレスが強く残業も多かったからでしょうか。入院期間は2週間。入院期間中の摂取カロリーは1680kcal。入院中は寝て過ごしていました。退院してからは、仕事でエネルギーが必要なので摂取カロリーは1840kcal。
退院してからなお一層仕事はきつくなり、その頃から私はEDになります。そして、2007年1月ごろからうつ症状が出始めます。2007年5月末に会社を休職、回復せず8月末に会社を退職。しばらくはもうダメダメ状態で寝て過ごす生活です。それでも血糖値は問題ある値には上がりませんでした。
血糖値が再び上がったのは、うつ症状を改善するためにルーランを処方されてからです。寝て過ごす生活を過ごしていたので徐々に体重も増えてきてはいたのですが、ルーランを服用するようになってから、体重が65kgに、朝食前グルコース値が200を越えてしまいました。今年の5月末の事。ルーランは食欲を増すので糖尿病患者への投与は良くないのですけれども、うつ症状を打開するためには仕方がなかったようで。おやつを食べるのを止められなくなり、血糖値が上がっていったのです。
内科では糖尿病の薬が処方されましたが、私自身も一日の炭水化物の摂取カロリーをこれまでの880kcalから560kgに抑えるようにしました。ご飯でいうと、これまで一日に小さなお茶椀3杯食べていたのを、2杯に抑えるようにしました。
つらかったです。。
今は体重は60kgまで落ちました。血糖値もかなり落ち着いてきました。
今後は死ぬまでこんな食生活を送ることになるのでしょう。胃も縮んであんまり量を食べられなくなったし。お酒はもともと弱いのでもともと普段は飲まないのですがこれからは飲み会でも飲まずに済ますでしょう。
スイーツ(笑)を私は大好きなんだけど、食べるわけにはいかないんだよなあ。つらいなあ。
右膝から10cmほど下がったあたり、靭帯なのかな、その辺りが、膝の折れ曲がる角度に寄っては激痛が走る。
7月1日から毎週細川整形外科に通っているのだけれど、注射で鎮痛剤を打たれ、シップを処方されるも、効果が無い。
細川のジジイはろくに状態について説明しないし。
来週行っても状態が変わらない様なら、医者を代えようかと思っている。
うつは心の風邪なんかじゃない。死に至る病である。
私は今、絶望感に打ち震えている。思い詰めないようにするには、心を空っぽにするしかない。
そんな私に、何が出来るだろう?
5月30日採血時には201mg/dLまで上がっていた空腹時血糖値。糖質制限とウォーキングの成果か、6月26日採血時で117mg/dLまで下がりました。それと連動して、体重も65kg台から61kg台まで落ちています。
もう少し頑張らないといけないけど、一時はどうなるかと思っていただけに、一安心です。少なくとも、今の食事内容を続けていけば良さそう。
そもそもはうつ症状の改善にルーランを服用し始めた副作用で血糖値が上がってしまったのですが、今は気分も以前よりはマシになっているし、結果的に食生活も改善できたし。いらいらしてお菓子を食べることを我慢出来るようになったし。
コーヒーゼリー程度しかスイーツ(笑)を食べるわけにいかないのは辛いですが、とにかくコントロールしていくしかないです。
朝起きたときからずっとしゃっくりが出ていて辛いです。
午後、布団でまるまって寝ていたのですが、夕方目が覚めた時にはしゃっくりは止まっていたのですが、仰向けになったらまたしゃっくりし始めました。
私の場合、しゃっくりはなかなか止まらないので、とても疲れています。
考え事もできません。
買い物と病院通い以外は基本的に引き篭もっています。
夜、妻と買い物に出かけたら夜風が冷たく、まだスーパーの食品売り場は冷気でとても寒くて。私は寒いとうつがひどくなります。
そして夜は薬が弱くなっているのですね。
お風呂に入って身体を温めてもうつが良くならない。
速く寝た方が良いのでしょうが。
私は糖尿病なんですが、うつ状態になる前は食事制限で血糖値をコントロールしていました。しかしうつ状態になってからは、うつのお薬が食欲を増進させることや寝て過ごすことが多かったものですから、体重が増え、血糖値が高くなっていました。
今は血糖値の上昇を緩やかにする薬やインシュリンを出させる薬を服用しています。ただ、血糖値の上昇を穏やかにする薬の副作用がつらい。食後、腸にガスが溜まっておならが何度も出るのです。これが苦しい。
1日の摂取カロリーは、仕事していた時の量をそのまま摂っていたのですが、血糖値が高くなっているのが判明してからは、1日1,500kcalに抑えるようにしました。ゆっくり体重が減っています。
血糖値が下がるような食事をしていれば結果的に体重が減っていきます。今の体重の目標は60kgを切ることです。
昨日は一日うつでどん底状態で、思いあまってミクシィ退会したんですけどね。
今日の心の軽いこと。
まるで憑き物が落ちたみたいです。
そんなにリアル友のマイミクとの関係に悩んでいたのか。
面と向かって話せば問題無いと思えることも、言葉だけだととっても難しいし。
ストレスだったのだろう。
クローズドな世界での言葉だけのコミュニケーションも、もう限界だったかな。
午前中、ハローワークに行ってきた。
端末で求人票を見ていたのだが、どんどん憂鬱になっていく。プログラマーをやっていくのは無理だなと改めて思う。今後の職を決めるのは、私のもうすぐ41歳という年齢からして、第2の人生を決めるに等しい。だが、気力が出ない。こんな状態で、何ができるというのだろう。仕事を見つけられるのだろうか。
午後は寝ていた。私は鬱症状があるけれど、不眠ではなく過眠である。日々疲れて、眠らずにはいられない。
夜、妻と近所の大型書店に行く。HiViの最新号に目を通す。高級AVシステムの価格は、今の私の生活からすると桁違い。そう言えば、原油価格高騰で様々な食品の値段が上がっていったり。趣味性の高い車はニーズが少ないため価格が高く。同じく趣味性の高いスポーツバイクは厳しい環境規制への対応でやはり価格が高くなり。自分の好きなものが手に入りづらくなっていく。
ミクシィを3年使って、ミクシィの方向性と今自分の求めるものがだんだん離れて行くのを強く感じる。ミクシィは健常者のためのものだと思うよ。障害者が何か書いても、健常者は対応することができない。私のマイミクはほとんどがリアルであったことのある人なので、なおさらかもしれない。健常者と私とでは、抱えている思いを分かち合えないもの。そこにできあがったのは閉じた村社会だったのだな。
障害者はマジョリティである健常者の周縁にしか存在できないし、障害者自身も各々が違った症状を抱えているので、他者と抱えている思いを分かち合うことは難しい。
被害者意識と片付けるのは簡単だ。でも、私は『現実』に直面している。
気力が湧かない。
眠い。
体調が悪い。
血糖値を下げなきゃいけない。
現代社会という名のゲームから退場して1年。
焦り、苛立つ。
このゲームに関与できない。というか、ゲームを戦うという精神的な余裕が未だ無い。
私にできるのは、こんな文章を綴ることくらい。
復帰出来るのか。
思い詰めたりもする。こんな私に存在価値があるのかと。
社会から断ち切られている。
社会参加とか、自己実現とか。
孤立していると、何も出来無い。
無力感がつのる。
様々なものを再構築する事の難しさを痛感する。
まだまだ、お昼寝が必要だ。
朝食後、寝る。
昼食後、寝る。
15時頃ようやく起き出し、バイクで走りに出かける。
本屋で野阿梓の「兇天使」購入。ハヤカワ文庫JA、復刊、というか新装版。
昨日書いた「親子関係について思う」の追加。
私の父は幼い頃、太平洋戦争時代に両親を亡くしている。そんな話を、私は父から直接聞いたことがない。それどころか、会話らしい会話をした記憶がない。
私の母がその父(私にとって祖父)に会ったのは祖父がシベリア抑留から帰ってきてから。
私の父は私が学生時代、22歳の時に49歳でガンで他界した。
私の両親と私は、父親の不在という家族物語を反復しているようだ。
そういうことが、私の精神に大きな影響を及ぼしているように思う。
私はうつ症状を抱えています。そしてそういう私はやはり何らかの気分障害を抱えている人と知り合いになることがあります。
不思議に思うのは、そういう気分障害を抱えている人々に少なくない割合で親との健全な関係を持てなかった方が居ることです。
そしてそれは、私も例外ではなく。
SFマガジン1996年8月号の新世紀エヴァンゲリオン特集で香山リカ氏が言及しているがごとく、エヴァでは健全な親子関係を持った主要キャラクターが居ません。その寄稿文が今、問題を抱えている自分にボディブローのように効いているような気がします。
私が自分自身について疑問を抱いていることがあって、それは私が両親との間に健全な親子関係を持てなかったことが晩婚という形に変えて表出しているのではないかと。無意識のうちに私自身が自分の子供となる存在との間に健全な親子関係を築くことができないのではないかと思い、それを避けていたのではないかと。例えは悪いかもしれないが、親から虐待を受けて育ったヒトが自分の子供に対して虐待を行うがごとく、それを避ける無意識が晩婚という形になったのではないかと。
自分はタナトスに魅入られた存在だけど、妻はご両親との間で健全な親子関係を持っているようで、人生に対して肯定的です。親戚の小さな甥っ子に接する姿に不自然な点はありません。しかし、私は、自分の妹の娘、すなわち姪っ子に対してどう接したらいいのか分からない。
そういうのは、自分のうつ症状と根っこが同じなのではないかと疑っているのです。
一日寝てました。
うつの症状の中でも、睡眠障害については私は過眠です。
日中は天気も良く、ひたすら寝ていたのですが。
夜遅くまで起きていると、うつが出てきますね。
今現在、生きていたくないという思い全開です。
早いところ食器を洗って寝ることにします。
今は妻だけが話相手ですが、妻は日中は仕事でいませんし。
話し相手が欲しいです。
だんだん悲しい気持ちが増していきます。
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