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2010年2月 9日 (火)

手書きのラブレターを書く習慣は今でも生き残っているのだろうか

手書きのラブレターの時代に比べて、今の携帯メールは恋愛に対する敷居を低くした気がします。一方手書きのラブレターは想いがこもっていて重い。現在でも手書きのラブレターを書く習慣は残っているのでしょうか。

ラジオからmihimaru GTの『Love letter』という気が流れてきた。歌詞をきちんと聞き取れたわけでは無いので曲の感想は書かないけど、曲名に何か違和感を感じました。ラブレターと言ったら、手書きのラブレターでしょうがmihimaru GTのメンバーは手書きのラブレターを書いた世代なのでしょうか。何せ1980年とか1984年生まれなのですから。

1980年、私は13歳でした。私は10代を80年代の空気の中で過ごしたことになります。インターネットの商用利用も携帯電話も気配も何もない頃です。電話は固定電話。女の子に電話するには、自分の家族を遠ざけ、さらに相手のご両親という障壁を突破しなければなりませんでした。手紙だって、手書きでした。書き損じたら、便箋1枚書き直しです。私の場合、便箋で2~3枚程度。まず下書きを書いて推敲して、それから万年筆で本番。自分の想いをつらつらと、ちょっとした言い回しにそれまで読んできた本の蓄積が反映されたりとか。多分今読み返したらすごく『重い』文章だったのではないかと思いますが、『想い』は重くて当然でしょう。

私が就職したのは1993年。就職して一人暮らし(会社の独身寮だけど個室)になって固定電話を引くことが出来、それだけでも電話で連絡をとるときの敷居は低くなりましたが、1人1台携帯電話になってからは、コミュニケーションの敷居が格段に下がったと思います。特に10代にとって。話したい女の子と直接つながれるのですから。そして通話料をできるだけ抑えようとすると携帯メールが主になる。しかし携帯のディスプレイは長文を読むには適しません。書く文章は要件のみか、空気みたいな情報か。それでも気分は伝わる。メルアドさえ交換できてしまえば、恋愛への過程はなし崩し。

10台の人たちはなし崩し的な恋愛の過程を意識はしないかもしれないが、ある程度の年齢になると、なし崩しは互いの戦略的思惑だったりするのだけどねえ。そういったなし崩し的な恋愛に対して、推敲された手書きのラブレターというのは酷く異質に思える。面倒くさくさえ思いがちだが、少なくとも片思いモードに突入しているとどんな面倒くさいことだってやってのけてしまいがち。でもそれも、手書きのラブレターというものを知っていればだが。mihimaru GTを聴く世代に手書きのラブレターという概念はあるのかしらん。

もしかしたら私が10代の頃ですら、便箋2~3枚のラブレターを書いていたのは私が本読みだったからかもしれません。そうであれば、現在の10代でも本読みであれば便箋に手書きで想いを綴るのかもしれません。自分の10代の娘・息子が手書きでラブレターを書いている現場を間違って見てしまったら、そっと私にも教えてください。

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